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27年前の12月8日

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「ジョン・レノンが死んだんやて」
「うそや」
「知らんかったん」
「病気か?」
「撃たれよったんや」
「......」
自転車に乗った友人は猛スピードで私に追いつくとそう言って、
「先行くけん」と再びペダルを踏み込み、あっという間に小さくなってしまいました。
ジョンがニューヨークの自宅近くで精神疾患者に撃たれた1980年12月8日の夜、日本は翌日の午後で、私は高校から家に帰る途中でした。

ジョンとヨーコの久しぶりのアルバム、「ダブルファンタジー」が出たのは数週間前。母親から小遣いを前借りした私は、町のレコード屋に自転車を飛ばしました。ひと月の小遣いはLP1枚分だったのです。
帰って早々、レコードに針を落すと、最初の曲「スターティング・オーヴァー」のイントロから引き込まれ、A面が終わるまで、身動きせず、ステレオの前でじーっと聴き続けたのを覚えています。

私が洋楽を聴き始めたころ、すでにビートルズは解散していましたが、ジョンのソロ活動は比較的オンタイムで聴くことができました。マザー、ワーキング・クラス・ヒーロー、イマジン、マインドゲームス、パワー・トゥ・ザ・ピープル......。

ポップスに詳しい友人(といっても四国の田舎の高校生のことですから、FMラジオの番組をこまめにチェックし、毎月地元の本屋さんに1冊だけ届く雑誌「ロッキング・オン」をまわし読みしていた程度ですが)に言わせれば、「ジョンは、メッセージ性はあるけど、音楽センスはポール(・マッカートニー)の方が上」だそうで、ジョン好きの私を小馬鹿にすることもありましたが、「ハッピー・クリスマス(ウォー・イズ・オーヴァー)」は好きだったようです。毎年12月、街中でときどきこの曲を耳にすると、27年前、「ジョン・レノンの死」を唐突に知らされ、何だか取り残されたような気分で、田んぼ道を自転車でとろとろと家に帰ったあの日を思い出します。

イラク開戦のとき、アメリカでは「イマジン」を流すのが自粛されました。厭戦気分を広げるからというのが理由です。

いまジョン・レノンが生きていたら、どんなメッセージを、どんなメロディに乗せて、歌っただろう?

ちなみに、12月8日は真珠湾攻撃の日(日本時間)でもあります。

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