朝日新聞の土曜版「be on Saturday」のトップに「フロントランナー」というコーナーがあります。ビジネス界に新しい風を吹き込んでいる人が登場する連載もので、先日の5月31日付には山梨日立建機の雨宮清社長が登場しました。
雨宮社長は、独自の地雷除去機を開発した技術者でもあります。
雨宮社長は、独自の地雷除去機を開発した技術者でもあります。
大型ショベルカーのような地雷除去機のアームには、1,000度の爆風にも耐えられるカッターが装備されており、それで地雷を爆破・解体するのですが、同時に強力な磁石で飛散した破片を回収する。地雷除去機は、これまでの危険な手作業を機械化できる可能性だけでなく、後部に備え付けられた鋼鉄の鍬が、地雷跡地を農地に変える役割も果たすのです。
1994年に訪れたカンボジアで、地雷で足を失い、顔にひどい傷を負った老婆が、孫をおんぶしている姿を見て、雨宮社長は「悪魔の兵器」を退治することを考え始めたそうです。
最初の機械ができたのはそれから4年後。その後も外国の軍人や地雷除去を行うNGOの人々の意見を取り入れて(湿地帯と乾燥地帯では機械の仕様も違ってきます)、改良に改良を重ね、現在、アンゴラ、アフガニスタン、カンボジア、タイ、ベトナム、ニカラグアで58台の地雷除去機が活躍しています。しかも1号機からすべて現役。
雨宮さんは1947年生まれ。中学を卒業後、建機メーカーに就職以来、技術畑を歩んでこられました。ニカラグアで地雷の爆風に巻き込まれたため、左耳が聞こえないそうです。
危険と隣り合わせの仕事にも、「俺1人の命で千人、1万人の命が救えるなら」と平気で言う。日本が世界に誇りうる、平和への思いと高度な技術を体現したような方。かっこいいなあ。
1994年に訪れたカンボジアで、地雷で足を失い、顔にひどい傷を負った老婆が、孫をおんぶしている姿を見て、雨宮社長は「悪魔の兵器」を退治することを考え始めたそうです。
最初の機械ができたのはそれから4年後。その後も外国の軍人や地雷除去を行うNGOの人々の意見を取り入れて(湿地帯と乾燥地帯では機械の仕様も違ってきます)、改良に改良を重ね、現在、アンゴラ、アフガニスタン、カンボジア、タイ、ベトナム、ニカラグアで58台の地雷除去機が活躍しています。しかも1号機からすべて現役。
雨宮さんは1947年生まれ。中学を卒業後、建機メーカーに就職以来、技術畑を歩んでこられました。ニカラグアで地雷の爆風に巻き込まれたため、左耳が聞こえないそうです。
危険と隣り合わせの仕事にも、「俺1人の命で千人、1万人の命が救えるなら」と平気で言う。日本が世界に誇りうる、平和への思いと高度な技術を体現したような方。かっこいいなあ。
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