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病院で考えること

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連れ合いが手術で入院したため、毎日、病院へ通っています。

ここ数年、親戚や知人へのお見舞いが続いていました。むかしはブスッとして私に声をかけたこともなかった叔父が、病室ではとても饒舌になっていて驚かされたり、アルコール依存症で入院した学生時代の恩師からは、アルコール依存はれっきとした病気なのに、周囲から意志が弱いせいだと責められる辛さについて教えられたり、私にとっていろいろと考えさせられる場所です。

連れ合いのいる婦人科病棟は、産婦人科と同じブロックなので、死よりも生が身近にある場所ですが、総合病院では様々な病気や怪我で入院を余儀なくされている人がいて、その家族の方々がいる----この当たり前のことを知らされます。日々の生活のなかでは忘れがちの、そんな心持に静かな喝が入るのです。そして、「自分の思うように動かない身体とどう付き合っていくか」ということに向き合う自分自身を想像します。

それにしても医療の最前線におられるお医者さんや看護士さんには頭が下がります。人間の命を預かる職業。手抜きはできない。医療事故があると、マスコミに大々的に報じられますが、現場にいる方の知力、体力を総動員した働きぶりを見ると、かたや俺は人様のためになるような仕事ができているのか? と考えてしまう。
 
病院に行くと、自問ばっかりです。

先日、手術後初めて、子供たちを病院に連れていきました。大きな病院に入るのは初めてなので、いろいろなハンディキャップをもつ人の存在にショックを受けるだろうと思ったのですが、「(点滴を吊して移動できるスタンド車に)便利で、いいね」とか「(義足の方を見て)あれ、鉄のばねなら、もっと歩きやすいのに」と関心は医療器具に集中していました。

北京のパラリンピックの影響でしょう。とくに娘はオリンピックよりも、パラリンピックの方を熱心に見ていたので(彼女はパラリンピックの方がオリンピックよりも面白いと言っていました)。

ちなみに、子供たちは数日振りに再会した母親の前で、緊張したり、照れたり。

病院ではいつも新しい発見があります。

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