横浜市中区の日本新聞博物館で、「92歳の報道写真家 福島菊次郎展 -ヒロシマからフクシマへ-。戦後、激動の現場」が開催されています(10月20日まで)。
福島さんは1921年、山口県下松市の漁師の家に生まれました。1944年に召集されましたが、馬に蹴られ骨折、入院。その間に沖縄へ向かった所属部隊の輸送船は、米軍の攻撃を受けて沈没したといいます。戦後、地元で時計店を営みつつ、被爆者の困窮生活をつぶさに追った写真集『ピカドン ある原爆被災者の記録』を発表し、日本写真評論家賞特別賞を受賞するなど高い評価を受けました。
しかし夫婦関係は破綻。離婚後上京してプロカメラマンとなります。東大安田講堂攻防戦、あさま山荘事件、三里塚闘争など激動の時代を写し撮ってきましたが、中でも福島さんの名を高めたのは『迫る危機:自衛隊と兵器産業を告発する』の取材です。当時の防衛庁を信用させて内部から兵器産業の闇を撮影して発表しましたが、暴漢に襲われ重傷を負い、自宅も何者かに放火されました。
カメラを捨て、無人島に入植したこともありましたが、1988年の昭和天皇の病状報道を機に自らの写真で「戦争責任展」を全国で開催し、報道カメラマンに復帰。東日本大震災の際には90歳の身ながらカメラを手に福島に向かいました。この展覧会では、キャリア67年、撮影枚数25万枚以上という福島さんの作品を中心に約80点を展示。妥協を許さぬ反骨の信念が写真から浮かび上がります。