大藤信郎というアニメーション作家がいました。毎日映画コンクールのアニメーション部門の賞にその名を残しているのですが、今ではちょっと忘れられた存在かもしれません。その大藤の展覧会がこの夏開かれています。
大藤は1900年、東京の浅草生まれ。18歳で国産動画の創始者のひとり、幸内純一に動画技術を習います。日本ならではの千代紙に目をつけ、背景、人形とも千代紙で作り、これを漫画映画のように動かす「千代紙映画」でたいへんな評判を呼びました。これを大藤は姉との共同作業で作り出すのです。
戦前からのアニメーターは戦後、方針の違いから離合集散を繰り返しますが、大藤は目もくれず、1927年に作った影絵アニメ「鯨」を、セロファンを使ってカラーに作り直しました。「くじら」という、わずか9分のその作品は、たいへん幻想的、かつ官能的な作品です。制作翌年の1953年カンヌ国際映画祭に出品し、第1位はフランスの「白い馬」に奪われたものの、ピカソら審査員をあっと言わせて、大藤は日本の代表的アニメーション作家となります。
その後、長編「ガリバー旅行記」「竹取物語」制作のさなかに脳軟化症で倒れ、61歳で亡くなりました。妥協を許さない姿勢によって、変わり者との評判もありましたが、動画にささげた一生だったと言っていいでしょう。東映動画(現東映アニメーション)や、手塚治虫がつくった虫プロダクションなどの流れからすれば傍流かもしれませんが、大藤作品はアニメーション表現の広さを感じることのできるものです。
「展覧会 アニメーションの先駆者大藤信郎」は29日から9月9日まで、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催されています。