東京23区内、しかも都心から直線距離で6kmほど。ただ、どの駅からも遠く、最寄りはバス停――。
石田波郷は1913年、現在の
しかし1943年、召集令状が30歳の彼の元にやってきました。軍鳩取扱兵になりますが、華北での軍隊生活で肋膜炎を発症。帰国し兵役免除となったものの、肺病との長いつきあいは続きます。そんな中、東京大空襲のちょうど1年後の1946年3月10日、波郷は
戦後は、病気によって深みを増した秀句を次々と発表しますが、その療養中にカメラに凝りだしました。1957年から読売新聞江東版に115回連載した「江東歳時記」は、彼の句と解説文、そして写真が三位一体となったものでした。写真は新聞社のカメラマンによるものがほとんどですが、波郷が写したものを何度か使われているとのこと。これがパネルになって記念館に展示されています。なんとも懐かしい昭和の風景がそこにはあります。
波郷は1969年、肺結核でこの世を去りました。記念館は波郷らしく静かでつつましやかですが、すぐそばには実に賑やかで庶民的な商店街。この落差こそを波郷は愛したのかもしれません。
(参考文献:石田波郷『江東歳時記/清瀬村(抄) 石田波郷随想集』講談社文芸文庫)