先日、大阪・梅田のラーメン屋さんに入ったところ、壁一面に茨木のり子の「倚りかからず」が大書してあり、少なからず驚きました。筆者の好きな詩だからです。
日本の戦後詩を代表する女性詩人・茨木のり子は2006年2月17日、79歳で亡くなりましたが、その作品は今も広く愛誦されています。「わたしが一番きれいだったとき」は教科書に収められていますので、読んだことのある方は多いでしょう。
歯切れよく潔い彼女の詩は、戦後の自立した女性を体現しているかのようでした。文芸評論家の粟津則雄さんは「自分の感受性ぐらい」を引いて、「まさしく自分の感受性を最後まで守り尽くした人であると言っていいだろう」と書いています。
また、戦中に獄死させられた朝鮮の詩人・尹東柱(ユンドンジュ)の記念碑を建立する運動の呼び掛け人にもなっていましたが、自分の詩碑は立てないように、家族に言い置いていたそうです。
死後、生前に用意していたお別れの手紙が、交流のあった人たちに送られましたが、そこには「「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます」とありました。死についても恐れず、従容として受け入れるその姿は、彼女の詩のように一本筋の通ったものでした。
(参考文献:粟津則雄『日本人のことば』集英社新書)