100歳以上の高齢者の行方不明が盛んに報道されていました。例によって、マスメディアには行政の担当者に対して、「どうして調べていなかったのか?」と詰め寄る記者がいた。取材相手が反論できない場合は徹底的に叩く。この業界の特徴のひとつを見るようで、報道内容同様、暗澹たる気持ちにさせられます。
問題の元は、高齢単身者の日常をチェックしていなかった行政の怠慢にではなく(きちんとチェックしている国があるとすれば、それはたいてい独裁国です)、私たちの社会で世代を超えて単身世帯が増えたことにあると思います。2030年には60歳世代の4人に1人が単身になるとの統計予測があるように、高齢者の行方不明、あるいは猛暑日が続く今夏の熱中症による孤独死は、「明日は我が身」かもしれないのです。
日本の社会は数十年かけて、1人暮らしが快適になるような消費スタイルをつくってきました。24時間営業のファストフード店でのメニューや、コンビニエンスストアやスーパーのお弁当など、どれも驚くほど安く、種類も豊富です。
でも、そうした生活がいいと思っている人は実はあまり多くないのではないか。1人で料理すると手間、ひま、お金が余計にかかるし、そもそも誰かに食べてもらうということがなければ、丹精込めて料理してもまさに味気ない。単身世帯の消費スタイルのメリットはその程度のことのように思えるのです。
ただ、そうした単身生活に慣れると、他人と生活をともにする「結婚」が億劫になる。また、女性にとっては、仕事、家事、育児の3つの負担を抱えることになりかねない。だから未婚も、少子化も進行する。
多くの若者が、今後、経済成長によって自分たちの生活がより豊かになると思えないでいるなか、結婚の役割のひとつとして、生活防衛が重きをなしていくのではないでしょうか。あるいは子育てのサポーターとして、両親や祖父母と同居する多世帯家族が増えていく。それは日本にかつてあった家族形態への回帰ではなく、家父長制度なき新しいコミュニティのようなものかもしれません。
高齢者の行方不明や育児放棄による幼い子供の餓死など、痛ましいニュースが続くなか、かろうじて模索できる楽観的な未来――このことについて、もう少し、考えてみたいと思います。