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東京進出した頃のナインティナイン「岡村隆史」さん その1

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 1994年、東京・銀座に吉本興業としては東京初の常設劇場「銀座七丁目劇場」がオープンしました。当時、夕刊紙記者の端くれだった私は、知り合いの吉本興業社員のツテを利用し、「取材」と称して、劇場によく出入りしていました。

 

  今では中堅として活躍するロンドンブーツやココリコ、それからぐっさんこと山口智充も、「勝ち抜きネタバトル」のようなものをして、ほんの数分のネタの時間を争う無名の若手芸人として舞台に立っていました。

 

 七丁目劇場イチオシの芸人は、若手漫才コンビ6組がユニットを組んだ「吉本印天然素材(通称・天素)」でした。雨上がり決死隊、バッファロー吾郎、FUJIWARAなど関西では人気の若手コンビがメンバーでしたが、最も人気があったのはナインティナインです。

 

舞台に出るだけで、若い女の子たちの悲鳴のような歓声が沸き起こり、漫才のネタはほとんど聞こえないほど。今で言えば、少し前の「はんにゃ」のような異常人気だったのです。

 

そんな熱気のなか、舞台上の岡村隆史さんは、ネタをさえぎる歓声に少し苦笑いを浮かべ、テンション高めの他の芸人が声を張り上げるなか、ボソボソとしゃべるなど、どこか醒めているように見えました。

  あるときも、天素メンバーによる大喜利が行なわれたのですが、例によって観客の声援でパニック状態になるなか、岡村さんは淡々と自分の役割をこなしていました。

 

 お笑いマニアである私は、チャンスさえあれば楽屋などにも出入りしていたのですが、舞台に出演中の同じ天素メンバーのネタを、吉野家の牛丼をかきこみながら楽屋のモニターでじっと見る岡村さんの姿を何度も見かけました。

その姿は、突然人気者になった自分たちを、あくまでも客観的な視線で見ていたような感じとでも言いましょうか。

 

 そんな岡村さんが珍しく感情を露にしたことがありました。

 130Rというコンビで活躍していた板尾創路さんが、ある事件で逮捕されたときのことでした。(続く)

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