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日めくり編集メモ 032

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前回、上方漫才の屋号(亭号)の系譜をお話ししました。それでは東京漫才での屋号はどのようになっているのでしょうか。

東京漫才の戦後は、リーガル千太・万吉から始まります。彼らはもともと落語家でしたが、仲間内の掛け合いが評判になり、さらに関西でのエンタツ・アチャコの人気に刺激を受けて漫才師になります。この「リーガル」はコロムビアレコードのマイナーレーベルで、そこと専属契約をしたための屋号です。弟子にリーガル天才・秀才、クリトモ一休・三休がいます。この三休がのちの春日三球です。

同じようにレーベルを屋号にしたのがコロムビア・トップ・ライトですが、その理由は少々違います。彼らは歌謡ショーの「司会漫才」としてコロムビア専属だったので、青空トップ・ライトから変えたのです。当時は1時間ほどの演芸の後に歌謡ショーを行い、その両方をカバー出来る司会漫才は大変重宝されました。彼らには青空千夜・一夜、青空はるお・あきお、青空球児・好児などの弟子がいます。

この司会漫才と違う系統が寄席漫才で、十返舎亀造・菊次、松鶴家千代若・千代菊、桜川ぴん助・美代鶴といった、お座敷芸の延長にあるものでした。この中では千代若・千代菊に弟子が多く、東京二・京太や松鶴家千とせ、ツービートも一門になります。

屋号がつながらない例も出ているように、東京漫才での屋号は上方ほどしっかり受け継がれるわけではないようです。内海突破の弟子が獅子てんや・瀬戸わんやで、さらにその弟子が昭和のいる・こいるでは、一目で師弟とは分からないでしょう。しかし、当時流行した獅子文六の小説「てんやわんや」から名づけたり、三橋美智也から勧められて「昭和」という屋号にしたりと、名より実を取るのが、東京漫才の意外な特徴のようです。
(参考文献:玉置宏「戦後東京漫才史」=「笑芸人」vol.4 白夜書房 所収)

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