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日めくり編集メモ 034

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1804(文化元)年、江戸幕府寺社奉行脇坂淡路守は、蝦夷地慰撫という名目で、有珠の善光寺、様似の等ジュ院とともに厚岸の国泰寺を東蝦夷地蝦夷三官寺に指定しました。国泰寺は、十勝・釧路・根室・国後・択捉島を統括する大きな寺院でした。(「ジュ」は「樹」の木へんをさんずいに)

北海道厚岸町は現在人口1万人ほどの小さな町。しかし、縄文時代(約6000年前)から人間が暮らしていた遺跡があることで分かるようにアイヌの人々の集落だったようです。また、この国泰寺の存在が示すとおり江戸時代から和人が出入りし、アッケシ場所を作って交易の拠点としていました。その後、近藤重蔵、最上徳内、間宮林蔵ら探検家の活躍の舞台ともなる歴史的に重要な町です。

 

厚岸は、釧路の東方に位置し、太平洋に臨み、厚岸半島が東から西に向けて突き出し、厚岸湖を抱いた独特の地勢です。この厚岸湖には、名産のカキの白い殻が堆積して出来た牡蠣島が点在していましたが、次第に湖中に没して面積は小さくなりました。その中のひとつ、弁天島には神社があり、奉納されている弁財天座像は町の重要文化財です。

 

そう、そのカキですが、アイヌの人々が天然カキを食していた昔から、厚岸一番の名産です。濃厚な味が魅力の厚岸のカキは、四季を通じて味わえます。中でも「厚岸味覚ターミナル・コンキリエ」にはレストランや市場が集まっており、生ガキ、焼きガキ、蒸しガキ、カキめし、フライなどカキづくしを楽しめます。厚岸の地名の由来は、オヒョウニレの皮をいつも剥ぐ所というアイヌ語「アツケウシイ」からだそうですが、カキの漁場という「アツケシ」から、という説もありました。これだけ名産だと後者のような気もするのですが、こればかりは分かりません。

(参考資料:北海道厚岸町ホームページ

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