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日めくり編集メモ 042

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東京駅から海岸沿いを千葉方面に向かう京葉線は、東京ディズニーリゾートへの路線として有名です。最寄りの舞浜駅の2つ手前、新木場駅そばの夢の島公園内に、独特の建物の形をした「第五福竜丸展示館」があります。

夢の島の名はゴミ埋立地として有名でしたが、今では43万平方メートルを誇る都立公園です。入場無料のこの展示館が開館したのは1976年。その数年前から第五福竜丸は放置され、廃船同様の荒れるままになっていました。保存運動の高まりが都を動かし、この展示館に結びつくのですが、第五福竜丸事件はそれほど戦後の日本人にとって衝撃的だったのです。

1954年3月1日、マーシャル諸島のエニウェトク環礁とともに核実験場だったビキニ環礁で、米軍は水爆実験を行いました。設定された危険水域からわずか30キロ離れたところで、マグロ漁船第五福竜丸は被曝したのです。帰港後、乗組員は放射能症が分かり全員入院、のちに無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。魚の売れ行きは急速に落ち込み、マグロが大量に廃棄されるなど、水産業に大きなダメージを与えました。募った放射能への恐怖は、原水爆禁止運動へつながっていきます。「ゴジラ」もこの事件を基に作られた映画です。

彼らだけではなく、近くにいた他船の乗組員や米兵、何よりも地元の人々の被曝も深刻で、いまだに後遺症に悩まされています。先日の朝日新聞には、「ビキニの「死の灰」、世界122カ所に降った」という記事が載りました。彼らにだけでなく、死の灰は世界の広範囲に降っていたのです。小さな140トンの木造船で遠洋まで操業に行った海の男を殺した水爆。展示館の中では圧倒的な大きさの第五福竜丸は、被曝の経験を静かに、しかし雄弁に物語っています。
(参考文献:川崎昭一郎『第五福竜丸 ビキニ事件を現代に問う』岩波ブックレット)

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