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日めくり編集メモ 043

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プロ野球もいよいよ佳境。両リーグとも、シーズン終盤の熱戦が繰り広げられています。パシフィック・リーグは今でこそセントラル・リーグに伍していますが、かつてはリーグ存続の危機があり、ある球団は集客のため実に変わったユニフォームを登場させました。

1960年代後半からパ・リーグの人気は長期低落傾向にありました。これを決定づけたのは1969年の黒い霧事件。西鉄ライオンズ、東映フライヤーズなどは主力選手が離脱し、順位が低迷。さらに東京オリオンズや西鉄、東映の親会社が球団経営に意欲を失い、リーグ存続の危機が公然と叫ばれたのです。さ中の1973年2月、フライヤーズは東映から日拓ホームに譲渡されました。

この年から前後期制によるプレーオフが導入されましたが、フライヤーズは後期から「7色のユニフォーム」で球界の度肝を抜きました。ローテーションで7種類のユニフォームを着替えていたのです。話題にはなりましたが、当然選手には不評でした。この頃はダブルヘッダーも多く、親会社からの指示もあって試合ごとに着替えていたそうですが荷物の量も大変で、ましてや遠征では一苦労だったと、当時の監督の土橋正幸さんが述懐しています。

これが使われた期間はわずか3ヵ月弱、選手の中には着ていないユニフォームもあったようでした。同年11月に日本ハムに球団を転売し、「日拓ホームフライヤーズ」はわずか10ヵ月で幕を閉じました。日本ハムは名前を公募によってファイターズとし、2004年からは本拠地を北海道に移して人気球団となっていることはご承知の通りです。
(参考文献:綱島理友文・綿谷寛絵『プロ野球ユニフォーム物語』ベースボール・マガジン社)

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