金原亭馬生という落語家の名跡があります。江戸後期に始まり、当代まで11代を数える名門。初代はいわゆる「馬派」の始祖で、馬楽、馬風、馬之助ほかの門人を輩出しました。懐かしく思い出されるのは、10代目の馬生です。
10代目は1928年、5代目古今亭志ん生を父に生まれました。その父も当時はぎん馬、甚語楼、馬石、しん馬などと改名してばかりの不遇時代。1934年に7代目馬生、その5年後に志ん生を襲名してからはそれまでの鬱屈を晴らすように大活躍します。10代目は1943年にこの父に入門、前座なしの二ツ目から高座に上りましたが、じき父が満州慰問で不在となってからは風当たりが厳しくなり、つらい時代だったようです。
1948年、5代目志ん橋で真打。弟(のちの3代目志ん朝)に「志ん生」の名跡を継がせたい父の意向を受けてその翌年10代目馬生を襲名します。華やかな父と弟に隠れているようですが、江戸の風雅を感じさせる辛口の芸風は得がたいものでした。「時そば」「たが屋」を復活させたのも彼。日舞は名取、書画もたしなむなど余技余芸は幅広く、娘が池波志乃さんであることも有名です。
父志ん生に似てやはり酒豪。朝、寝床の中でビールを飲むほどで、一日中菊正宗の冷やをちびりちびり。そんな彼も1982年、54歳の若さで旅立ってしまいました。1999年に襲名した当代11代目は、歌舞伎座のある木挽町生まれの色男。襲名の翌年には浅草演芸大賞銀賞(奨励賞)を受賞しました。朝日名人会の常連メンバーでもある、脂の乗り切った実力派です。
(参考文献:橘左近『東都噺家系圖』筑摩書房、小島貞二・遠藤佳三・鈴木重夫共編『落語家面白名鑑』かんき出版)