10月はじめに東京・青山で開催されたイベント「東京〜沖縄ピースカーニバル」のレポートを、先週UPしました。 http://www.magazine9.jp/citizen/event/034/
もう一つ紹介したくて、でも原稿の中では触れられなかったエピソードをひとつ。
この日のイベントでは、たくさんのミュージシャンによるステージとともに、ジャーナリストの金平茂紀さんを迎えてのトークも行われました。
以下はその終盤で、聞き手を務めていたミュージシャンの大熊ワタルさんが紹介してくれた、一通の「ある友人からのメール」。許可をいただいたので、そのまま転載します。
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基地はいらないどこにも、っていう言葉が、辛いです。
この言葉をきくと、めげてしまいます。
何処にもいらない、そのとおりです。
だから65年も沖縄は我慢してきた。
ヤマトゥで引き取れなんていえない、って。
でも、もうそろそろ誰か替わって引き受けてほしい。
何処にもいらないって、きれいごと言っている間ずーっと、軍事基地は沖縄にあるのだ。
嫌われても、私は言いたい。今度は東京で引き受けて! と。
引き受けた上で、言って、基地はいらないどこにも、って。
基地があるということは、世界の民衆に対する加害者なのです。
沖縄は悪魔の島。
65年間、我慢して、去年初めて、「基地は県外へ」、って言った沖縄。
それに対する、ヤマトの応えは、基地はいらないどこにも。
泣けてきます。
この気持ち、理解してもらえる日本人を、私は求めています。
わたしは在日琉球人で、この日本に暮しているから。
理解し合いたい。
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やっぱり沖縄に住んでいる知人から「東京じゃ絶対許されないことが、沖縄ではまかり通ってる」という台詞を聞いたことがあります。それを否定する言葉を、私はいくら考えても思いつくことができません。
初めて沖縄に行って、道沿いに延々と続く米軍基地のフェンスを見たときも、「人が暮らしている街のすぐ上空を、爆音あげて飛ぶヘリ」の映像を見たときも、私の頭に浮かんだ言葉はまず「ありえない...」でした。その、多分多くの人にとって「ありえない」だろう光景が、一部の場所では堂々と、当たり前のように許されている。
大熊さんが「子どもを教育するときには、弱い者いじめはやめようとか差別はいけませんとか言うけれど、それに反することが今、国家レベルで行われている。子どもたちも、『そんなの綺麗事だ、誰も守ってないじゃん』って思うんじゃないか」とコメントしていたけれど、まさにそのとおり、だと思います。
正直なことを言えば、突きつけられるのがとても辛い言葉ではあります。でも、「ヤマト」に暮らすひとりとして、絶対に向き合わなくてはいけない言葉だとも思うのです。
以前、インタビューに出ていただいたミュージシャンの知花竜海さんも、ブログで『「怒り」と「平和」』と題する一文を書かれていました(http://akagawara.jugem.jp/?eid=221)。こちらもあわせて、ぜひ読んでいただければ、と思います。(riyu)