きのこのおいしい季節になりました。シメジ、エノキダケ、エリンギといろいろありますが、なかでもシイタケは古くから日本の食卓に上っています。西洋のマッシュルーム、東南アジアから中国にかけてのフクロタケ(草茹)と並ぶ、世界3大栽培きのこです。
シイタケの栽培技術は日本で開発されました。その歴史は江戸時代中期までさかのぼり、1796年には農学者佐藤成裕による専門書『温故斎五瑞篇』が著されています。時代を下り、栽培法は科学的に改良されていきますが、それでも一か八かの不確実性があり、農家の確たる収入源にはなりませんでした。
のちに「シイタケ産業の父」と呼ばれる森喜作は学生時代に、ほだ木に祈る農民を見て、シイタケの研究に一生を捧げようと決意します。確実にほだ木に胞子が付着し生長するようにするにはどうしたらよいか、と試行錯誤の末、考案した方法は「種駒」というものでした。種駒とは、長さ2センチほどの小さな木片に菌糸を繁殖させたもの。これをほだ木に埋め込み栽培することで、確実にシイタケが収穫できるようになったのです。
そこに至るまで、資産家である実家からの勘当、それに伴う貧窮、さらには考案後も戦争によるほだ木用の木材の徴発など、森喜作の苦労は絶えませんでした。しかし戦後、政府のシイタケ増産計画によって種駒方式は日本中に広まり、今や八百屋やスーパーでシイタケを見ないことはないほど一般化しました。そのエピソードは昔の教科書にも採用され、今でも語り継がれています。
(参考文献:森産業ホームページ)