きのうは体育の日でした。10月第2週の月曜日になっていますが、もとは10月10日と決まっていたのです。この日は1964年東京オリンピックの開会式の日でもあります。46年も前のことですが、この大会では、中止となった1940年東京オリンピックの「遺産」を活用した競技もありました。
荒川を挟んで東京のすぐ北、埼玉県の戸田漕艇場は、もとは1940年大会のために造られたものです。それまで、東京でのボートレースは隅田川で行われていました。川なので流れもあり、蛇行したコースになります。これではとてもオリンピックが開けません。適地を求めて関係者は荒川放水路、手賀沼などを見て回りましたが、そんな折、戸田にある灌漑用の水ためを拡張する計画が関係者の耳に入りました。
漕艇協会は水利組合と話し合いの上、農業用水に相乗りする形で漕艇場建設を決定しました。1937年着工。労力は刑務所の受刑者でしたから工賃はタダでしたが、その翌年オリンピック開催自体が返上中止となってしまいます。しかし、農業用水と兼用では工事を中止するわけにはいきません。本来開かれるはずの1940年、2000メートルコースの漕艇場が完成しました。
1964年大会の際には、これをさらに改修して現在のボートコースが完成。晴れてオリンピックの舞台となったのです。その後、埼玉県立戸田公園として周辺は整備され、今では家族連れやカップルが散策を楽しむ憩いの場となっています。歴史に翻弄された漕艇場を顧みて、スポーツは平和とともにあることを実感させられます。
(参考文献:「週刊朝日増刊」東京オリンピック案内 1964年9月20日号)