東京の歌舞伎座も閉場して、そろそろ半年になろうとしています。建物は既に取り壊されてしまい、いまは瓦礫の山。その景色を見ると寂しい限りですが、歌舞伎自体がなくなったわけではありません。今回は、歌舞伎から生まれた模様や色などの話です。
2色の正方形を交互に配した格子模様を市松模様といいますが、18世紀半ばに佐野川市松という役者が小姓役ではいた袴の柄が評判になり、この名となりました。しかしこういう単純なものより、凝ったデザインが多いのが歌舞伎から出た模様の特徴です。判じ物模様は、縞4本に箪笥の取っ手である鐶(かん)がつながっている「四鐶縞=芝翫縞」(中村芝翫家)、鎌と輪とぬの字を組ませて「かまわぬ」(市川團十郎家)、斧(よき)と琴と菊を組ませて「よきこときく」(尾上菊五郎家)と凝りに凝っています。
格子模様もいろいろあります。1本と6本の線で「いち」と「む」を利かせ、らの字を配して市村格子、8本線で「は」、2本線を「り」と読ませ、変体仮名のまの字を嵌め込んだ播磨屋格子、中の字、らの字に1本の太縞と5本の細縞を「む」と読ませて中村格子など、どう見るのか考えてしまうようなものも。しかしこれらをあしらった浴衣は、江戸時代の庶民に爆発的に支持されました。言わばファッションの最先端だったのです。
色にも役者の名前がつきました。渋い茶色が流行したやはり18世紀半ば、初代尾上菊五郎の俳名で「梅幸茶」、2代嵐吉三郎の俳名で「璃寛茶」、2代目瀬川菊之丞の俳名をつけた「路考茶」などがありました。中でも菊之丞は大人気で、ほかにも「路考髷」「路考櫛」などが流行したそうです。役者の名前を使う企業は現在もあり、大阪の宝飾店の「芝翫香」は初代中村芝翫の贔屓の小間物屋だったことから、また「扇雀飴本舗」は2代目中村扇雀(現4代目坂田藤十郎)が命名した飴からの命名です。
(参考文献:『歌舞伎 歌舞伎の魅力大事典』講談社、芝翫香ホームページ、扇雀飴本舗ホームページ)