先日の奄美大島での豪雨による被害は甚大だったようです。現地の方々には謹んでお見舞い申し上げます。いまだに孤立を余儀なくされている人もまだ相当おられるようですし、ライフラインも寸断されたまま。さらにまた激しい雨が降る予報も出ています。どうぞ厳重に警戒されますよう。
奄美の名は、日本書紀に「海見島」とあるほど古いものです。平家の落人伝説もあり、彼らによって稲作技術が伝えられたとも言われています。その後琉球王国に帰属しますが、1609年島津氏が琉球を侵攻し、橋頭堡となった奄美は切り離されて鹿児島藩の直轄領となります。藩財政の立て直しのため奄美の人々には砂糖生産のみが強制されました。
砂糖のみのモノカルチャー化は当然飢饉に弱く、貧富は拡大し、この収奪体制は「砂糖(黒糖)地獄」とまで呼ばれました。鹿児島藩はこの収益で潤い、のちの明治維新につながったという人もいるほどです。西郷隆盛が奄美大島や徳之島などに流されたことは有名ですが、この砂糖地獄を見かねて、島役人に抗議したこともあったそうです。
奄美諸島にはこのような悲しい歴史があります。第2次大戦後米軍占領下に置かれますが、1953年に復帰。本来、黒潮に洗われ、海の幸山の幸に恵まれた亜熱帯の豊かな島。画家の田中一村が移住し、その自然を描き続けた美しい島でもあります。一刻も早い復旧を心からお祈りいたします。
(参考文献:『日本歴史地名大系47 鹿児島県』平凡社、『角川日本地名大辞典46 鹿児島県』角川書店、喜界島酒造ホームページ)