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日めくり編集メモ 059

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日曜夕方のテレビ番組「笑点」の出演者・司会者として有名な5代目三遊亭圓楽さんが亡くなって、29日でちょうど1年がたちました。弟子の楽太郎さんが既に6代目を継いでいますが、この早業も5代目が、病が進行したため自らは引退し、襲名するよう指名したことによります。

東京メトロ東西線東陽町駅からすこし歩いた、江東区役所の向かいに雑居ビルがあります。今は飲食店や学習塾がテナントとして入居していますが、ここは1985年、脂の乗り切った頃の5代目圓楽さんが億ともいわれる私財を投じて建設した「若竹ビル」の現在の姿です。このなかに寄席「若竹」がありました。落語協会から脱退したことで寄席を失った自分の一門の活躍の場を、自らつくり出したのです。

しかし客足は振るわず、「若竹」は開場からわずか4年後閉館し、5代目はまた借金を抱えてしまいます。果たして悪かったのは、ひょうきん族全盛という時代か、ターミナルでもない東陽町駅からちょっと離れた場所か...。「若竹ビル」を見ると、いつも5代目の無念を思わずにいられません。5代目はその借金返済のため、落語よりも講演を多くこなして全国を飛び回りました。そのため芸が荒れてしまったという人もいるほどでした。

5代目は、自身の名「圓楽」は楽太郎さんに継がせました。さらに一番弟子の鳳楽さんに圓生の名跡を継がせたかったようですが、圓生の弟子である圓丈さん、圓窓さんらが声を上げ、これは今のところどうなるのか分かりません。借金は返済し、後継を決めて、後顧の憂いなく逝くのが彼の美学だったのでしょうが、残念ながらこればかりは上手くいかなかったようです。

(参考文献:「落語」1984年春第20号、1985年春第22号、1990年第30号特大号=弘文出版、圓窓の年月日輪=三遊亭圓窓さんブログ、三遊亭円丈落語の世界

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