先週11日、歴史学者で和光大学名誉教授の武者小路穣さんが89歳で亡くなりました。彼はペンネームを「むしゃこうじみのる」と平仮名で書きましたが、作家の武者小路実篤の姓を「むしゃのこうじ」と読んでいる自分に気づきました。
中沢新一さんは子供のころ、叔父の網野善彦さんから1冊の本を手渡されます。それは、武者小路穣さんと石母田正さんの共著『物語による日本の歴史』(1957年)。中高校生を対象に、古事記、風土記、源氏・竹取・平家物語などの「物語」を通して、日本の歴史を浮かび上がらせた、民衆史とも言うべき新しい視点からの歴史書でした。歴史学界の主流からは距離を置いたためか、穣さんの訃報がベタ記事だったのは残念です。
穣さんは奈良県生まれ。東京帝大文学部国史学科を卒業後、明星学園高校教諭などを経て、和光大学人文学部教授となりました。専攻は日本文化史で、著書に『絵巻の歴史』『襖』『地方仏』などがあります。実篤の3女辰子さんとの間に娘の有紀子さん。彼女は橘バレヱ学校に学び新進バレリーナとして活躍しました。その後、歌舞伎役者の8代目中村福助(現4代目中村梅玉)さんに嫁ぎ、梨園の妻としての日々を送っています。
『武者小路実篤全集』(小学館)第1巻月報の「ムシャコウジ、ムシャノコウジ」で、穣さんはその読みについて書いています。京都の地名としては「むしゃのこうじ」で、そこからの家名ですが、新しき村をつくる際、公家華族の籍を離れ分家して平民となったのを機に「の」を取ったようです。ゆえに穣さんは「むしゃこうじ」なのですね。ただ実篤は「むしゃのこうじ」と読んでも間違いとはせず、どちらも正しいとしていました。
(参考資料:石母田正・武者小路穣『物語による日本の歴史』講談社学芸文庫、中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』集英社新書、武者小路実篤記念館ホームページ)