子供が大きくなり、使わなくなった品物を整理していたところ、いろいろと世話になった本が出てきました。懐かしさのあまりしばらく読みふけり、処分をやめてしまったその本は、松田道雄『育児の百科』です。
松田道雄は1908年茨城県生まれ。生後すぐに京都に移り、以後終生京都を主な活動の場とします。京都大学での師匠筋に平井毓太郎(いくたろう)がいますが、彼は明治から大正期にかけて子供に流行した脳膜炎様病症の原因を、母親が使う白粉に含まれる鉛であると発見したことで知られています。この平井らの影響で小児結核を専門にした松田は、京都で小児科医となりますが、久野収らの呼びかけで平和問題談話会に参加、末川博、田中美知太郎、桑原武夫らの知遇を得ました。
松田を有名にしたのは、『私は赤ちゃん』(1960年)『私は二歳』(1961年、ともに岩波新書)という、子供を主体に語らせる手法のユニークな育児啓蒙書。これは和田夏十脚色、市川崑監督によって『私は二歳』として映画化され評判を呼びました。『育児の百科』は1967年初版発行。彼は重版の度に手を入れ、新版を1980年に、最新版を1987年に、定本を死の1年後の1999年に出版しました。これは、医学上の新たな発見や新事態、さらに母親たちの意見を容れようとする松田の真摯な姿勢の賜物でしょう。
彼の文章は独特ですが、読んでいるうちについ引き込まれます。単なる家庭医学書を超えているからこそ、岩波文庫化されているのでしょう。漫画家の桜沢エリカさんは、お産の後にこの書の「運命が全人類のなかから選んでくれた、自分にいちばんよくあう乳にめぐりあえたという赤ちゃんの特権を失わせてはならない」という一節を読んで号泣したそうです。親、子、孫と読み継がれているこの本の命の長さに、あらためて敬意を表さずにはいられません。