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日めくり編集メモ 081

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講談社は3大出版社のひとつとして知られていますが、かつてこの社には、創業者・野間清治の薫陶を受けた「少年部員」と呼ばれる従業員がおり、東京中を自転車で飛び回っていました。

野間清治は、群馬師範を卒業し一時は教諭を務めていました。起居を共にし、実際の仕事の中から生きた学問を学び、人間を育てる―といった彼の教育観によって、1913年に第1号が入社。当初は年齢学歴不問でしたが、次第に小学校卒業以上となりました。1919年に「少年部」という組織になり、指導係も設けられました。少年採用は1941年まで続けられ、採用者は通算で1000人を超えました。

襟に「講談倶楽部」と染め抜かれた厚司(木綿で織った厚い仕事着)が彼らの制服でした。主な仕事内容は、ひとつは全国の書店へ宣伝物を発送する発送部。もうひとつは、印刷所、取次店、製本所、作家、画家などのところへのお使いでした。ほかにも掃除、投書の仕分け、文書整理など細々とした雑用も。丸坊主に厚司を着た少年部員の姿は、礼儀正しく勤勉で模範と言われていたそうです。

優秀だが貧しい少年に手を差し伸べた少年部のことを、出身者は「講談社大学」で学んだと誇ったといいます。自分を「旦那様」と呼ばせるなど封建的な部分はあるにしても、それは野間清治の「厳父としての慈愛」だったのでしょう。少年部員は入社3年から5年ほどで社員見習となり、さらに数年で準社員に登用されました。その中には、のちに重役になった人もいたということです。
(参考資料:『クロニック講談社の90年』講談社、講談社OB会記念出版委員会編『緑なす音羽の杜に』講談社OB会幹事会)

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