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日めくり編集メモ 085

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「日本最初の職業野球團、愈よ近く誕生!」1934824日付の読売新聞の見出しです。記事が誘導するように、日本初のプロ野球団は正力松太郎がつくった東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)と思われていますが、実はその前に3球団がありました。

まず1920年に結成された「日本運動協会」。巨人軍結成の14年も前のことです。早大野球部草創期のメンバーが、海外遠征で出合ったアメリカのプロ野球に触発されてつくったものです。中心は日本SFの先駆者・押川春浪の弟である押川清、1905年の渡米時に26試合を1人で投げぬき「アイアン・コーノ」と言われた河野安通志、都市対抗野球の橋戸賞にその名を残す橋戸信(頑鉄)の3人でした。

 

野球の在るべき姿を信じ、勉学と練習に明け暮れるなど理想は高かったのですが、いかんせんほぼ唯一のプロ球団。相手がノンプロや大学しかおらず、1923年の関東大震災もあって解散に追い込まれました。ここに救いの手を差し延べたのが阪急の創始者・小林一三。名を「宝塚運動協会」と改め、女性向けに歌劇、男性向けに野球という2本立てで集客を目指したものと思われます。しかし、試合相手の状況は変わらず、1929年にまたも解散してしまいます。

 

ほかにも、奇術師の松旭斎天勝一座主宰の「天勝野球団」もあり、一座の巡業に合わせてあちこちを転戦しました。興行元のご機嫌を取るための試合も少なくなかったとのこと。19236月には日本初のプロ野球試合である日本運動協会との試合を行っています。しかしやはり関東大震災によって壊滅的打撃を受け、自然消滅しました。大震災がすべてを台無しにしてしまいましたが、日本プロ野球の芽生えはここから確かに始まったのです。

(参考資料:佐野眞一『巨怪伝』文藝春秋、中日ドラゴンズ観測所内「プロ野球の歴史」

 

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