歌舞伎というと、豪華な結婚式が持て囃されたり、逆にその素行が話題になったりと梨園の御曹司が中心の世界。しかし、主役を支える脇役がいなくては芝居になりません。今回は四半世紀前に亡くなった、とある脇の役者の話です。
その名は利根川金十郎。明治の名優といわれる9代目團十郎最後の弟子で、父が3代目市川升蔵という役者の家系です。1901年、市川君太郎を名乗り4歳で初舞台。1919年、父の名である4代目升蔵を襲名。1928年ごろに東京を離れて上方へ上り、初代中村鴈治郎の一座に入っていますが、旅回り(いわゆるドサ)は一度もしたことがないとのこと。食べるためか、戦後の一時期廃業するも、1957年から9代目市川海老蔵一門で復帰しました。
9代目海老蔵は「海老さま」と呼ばれ、1962年春に11代目團十郎を襲名した、戦後歌舞伎を代表するスターです。その1年半後、大スターの機嫌を損ねたこの脇役は一門を破門されました。名乗っていた升蔵の名も返すように言われた彼は「たらちねの親より受けし名なれどもいかぬとあれば返し升蔵」と詠んでケロリとしたもの。芸名も、「市川より大きい利根川、團十郎の向こうを張って金十郎」と洒落のめして名付けたのです。
屋号は紫屋。金十郎は紫色が大好きで、持ち物や下着、灰皿など何でもこの色に。飼い猫の毛を紫に染めてしまったという逸話も。『鳥居前』の早見藤太、『白浪五人男』の番頭などおかしみを感じさせる役では独特の存在感がありました。最後の役は、亡くなる2年前に演じた『四千両小判梅葉』の紙屑屋ぼろ八で、これを機に引退。現在の12代目團十郎の襲名に沸いていた1985年、88歳でひっそりと世を去りました。