歌舞伎役者で人間国宝の中村富十郎さんが3日、亡くなりました。新橋演舞場での「壽初春大歌舞伎」の出演者に名が載っていましたが、舞台には立たぬままの旅立ち。歌舞伎界は悲しみに包まれています。
富十郎さんは1929年、4代目中村富十郎の長男として生まれました。1943年、4代目坂東鶴之助を名乗り初舞台。戦後は、母である日本舞踊の吾妻徳穂の「アヅマカブキ」第2回公演に参加してヨーロッパを回り、ジャン・コクトーらの前でも演じています。また武智鉄二が主宰した実験的な「武智歌舞伎」の中から、2代目中村扇雀(現在の4代目坂田藤十郎さん)とのコンビでスターとなり、美貌の2人の名をとって「扇鶴時代」とも言われました。
1964年、6代目市村竹之丞を襲名。この口上の際に事件が起こります。17代目市村羽左衛門が「本来ならば竹之丞の名跡を継ぐべき人ではない」と言ってしまったのです。武智鉄二の意向が働いていたこの襲名は悶着を起こしました。竹之丞の名はわずか8年ほどで、1972年に父の名である富十郎を5代目として襲名します。以後は、音吐朗々とした明快な口跡と台詞術の巧みさ、さらに踊りの名手として確固たる地位を占め、1994年に人間国宝となりました。
ずっとホテル住まいだった富十郎さんが結婚したのは1996年。相手が33歳年下ということも話題になりました。3年後長男の大くんが誕生し、このときの喜びようは大変なもの。2005年に大くんは中村鷹之資となり、彼が20歳になったときに富十郎の名跡を譲ると明言していました。この夢が実現できなかったことは本当に残念ですが、本来なら共演するはずだった「寿式三番叟」で附千歳を舞う鷹之資くんに一際大きな声がかけられています。「天王寺屋!」