地方の街を訪れて散歩すると、雑貨屋などにはホーロー看板が貼ってあることがよくあります。有名なものはいろいろありますが、オロナミンCの瓶を持つ大村崑さんの笑顔は忘れることが出来ません。
崑さんは1931年、神戸市生まれ。1953年に漫談家の大久保怜さんの一番弟子となり、その翌年大阪梅田の北野劇場で初舞台を踏みました。周りは佐々十郎さん、茶川一郎さんなどアクの強い役者ばかり。負けてはならじとひらめいたのがズリ落ちた眼鏡で、これが大受けし「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」「頓馬天狗」など草創期の関西の民放テレビ番組で大活躍。みな彼のことを「崑ちゃん」と愛称で呼びました。
「頓馬天狗」の主人公の名は、オロナイン軟膏をもじった「尾呂内南公(おろない・なんこう)」。スポンサーは大塚製薬で、これによってその後オロナミンCのCMに出演することになるのです。このCMの「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ!」「オロナミンCは小さな巨人です!」などのフレーズはあまりにも有名。1959年の最盛期は週1回の番組を9本抱えており、過労で入院するほどでした。20歳のときに結核を患ったことも祟ったのでしょう。
崑さんもその後はだんだん仕事をセーブするようになります。確かに「元気ハツラツ!」と言っている人が病気では困りますものね。懐かしい「ちびっこのどじまん」など子供番組の司会のほかにも「細うで繁盛記」などのドラマでも活躍し、現在でも「赤い霊柩車シリーズ」や商業演劇の舞台に出演しています。傘寿を迎えた現在でも若々しい崑さんはこう語っています。「いつまでも家族のように『崑ちゃん』と呼んでもらえることに、誇りを持っています」
(参考資料:「大阪人」2006年5月号、「週刊朝日」2011年1月21日号)