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古関裕而は1909年福島県生まれ。幼い頃から音楽の才能があり、10歳のとき卓上ピアノで作曲を始めました。20歳で英国ロンドンのチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募して2等に。その翌年日本コロムビアに作曲家として入社。初のヒットは「船頭可愛や」でした。戦中は軍歌を作らざるを得ませんでしたが、「愛国の花」「暁に祈る」など、やさしく哀愁を帯び、戦意高揚に直接結びつかないような曲が多いようです。戦後は「とんがり帽子」「長崎の鐘」「君の名は」など、まさに戦後日本を代表する作品を多く残しています。
最初に作ったプロ野球の歌は「阪神タイガースの歌(六甲颪)」。当時の球団名「大阪タイガースの歌」として1936年、球団創設の翌年に発表されました。現存するプロ野球団の歌では最古のものです。関西では、結婚式の披露宴で歌う人や阪神ファンの葬儀の挽歌として使われるなど大変親しまれています。作詞は佐藤惣之助ですが、同じコンビで1939年に作られたのが「巨人軍の歌(野球の王者)」です。ジャイアンツの球団歌としては初代のこの曲と、3代目である現在の「闘魂こめて」の2つを作っているのです。
中日ドラゴンズの「ドラゴンズの歌」も彼の手によります。中部日本新聞社(現中日新聞社)が一般公募した詞に曲をつけたものです。あまり知られていませんが、こちらも古関メロディーらしい曲です。ほか、「パシフィック・リーグの歌」などのプロ野球は言うに及ばず、「ああ栄冠は君に輝く」で高校野球、「都市対抗野球行進曲」で社会人野球と、スポーツにまつわる音楽に古関の作品は欠かすことができません。それは、彼が1つの球団やジャンル、種目ではなく、スポーツを心から広く愛していたからこそでしょう。
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