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日めくり編集メモ 103

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東京港で沖へ沖へと進む埋め立て。土地の確保と市民のごみ捨てを目的に、徳川家康の江戸入府から始まったのですから、長い歴史があります。中でも対照的な名前をつけられた埋立地が東京港南部に並んでいます。「平和島」と「勝島」です。

平和島の名前は、競艇ファンにはお馴染みでしょう。総理大臣杯競走など主要なレースも行われるボートレース場です。平和島は首都高羽田線、環状7号線や海岸通りなどが縦横に交差し、東京流通センターなど物流の拠点なので、トラックが多く行きかう大田区の町です。またボウリング場、映画館や温泉まであるレジャーランドでもあります。かつてはその名の通り島でしたが、大森本町や大森東との間の運河が埋め立てられて平和の森公園となったので、地続きとなっています。

 

平和島の埋め立ては1939年に始まりましたが、第2次大戦の激化に伴い中止。戦後は、連合国側の「東京捕虜収容所」がここに置かれ、東条英機ら戦犯も一時期収容されていたそうです。そのような経緯もあってか、1967年に平和島と名づけられました。これと対照的なのがこの北にある品川区勝島です。ここの最初の埋め立てが完了したのは1942年。戦争勝利を祈念しての海軍によって勝島と命名されました。時代のなせる業とはいえ、このコントラストは実に興味深いものです。

 

勝島にある、知られた施設といえば大井競馬場。1970年代半ばに一世を風靡したハイセイコーがデビューしたことでも知られています。最近では東京シティ競馬としてイメージアップを図って若年層の集客に力を入れているようです。また、先述の平和の森公園と同じように運河を埋め立てた勝島3丁目にはしながわ区民公園があり、その最も南に位置するしながわ水族館は連日多くの家族連れで賑わっています。楽しい施設のある町にも、地名から遡れる意外な歴史があるのですね。

(参考資料:朝日新聞社会部編『東京地名考 上』朝日文庫、遠藤毅「東京都臨海域における埋立地造成の歴史」地學雜誌Vol.113=東京地学協会=pdf

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