お元気であれば、きょう2月22日が満81歳の誕生日だった歌舞伎役者の山崎権一さん。先月25日にお亡くなりになりましたが、舞台に出てきただけでなぜか目の行く役者でした。
権一さんは1929年東京の芝明舟町生まれ。現在の
河原崎の名跡は、木挽町にあった河原崎座に由来します。劇聖・9代目市川團十郎が初代河原崎権十郎を名乗っており、その名を襲ったのが弟子である2代目。15代目市村羽左衛門に似ていたことから「浅草の羽左衛門」と呼ばれたそうで、その子が3代目権十郎。こちらも11代目団十郎(9代目海老蔵)にそっくりで、渋谷の東横ホールでよく公演していたことから付いたあだ名が「渋谷の海老さま」。さすが親子、同じようなことを言われるものです。
権一さんは鼻にかかった声が特徴的で、面長に鼻の大きな役者顔。脇役ですから派手なことをするわけではありません。しかし「浜松屋」の番頭、「源氏店」の藤八、「仮名手本忠臣蔵」五段目の与市兵衛や「直侍」の蕎麦屋亭主など、見ていて温かい味わいが感じられる演技でした。筆者が思い出すのは、「幡随長兵衛」の劇中劇「公平法問諍」の飄々とした慢容上人です。惜しい名脇役を亡くしました。心からご冥福をお祈りいたします。
(参考資料:『かぶき手帖2011年版』日本俳優協会、『歌舞伎俳優名鑑』『新歌舞伎俳優名鑑』演劇出版社)