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日めくり編集メモ 106

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お元気であれば、きょう222日が満81歳の誕生日だった歌舞伎役者の山崎権一さん。先月25日にお亡くなりになりましたが、舞台に出てきただけでなぜか目の行く役者でした。

権一さんは1929年東京の芝明舟町生まれ。現在の港区虎ノ門2丁目のあたりで、この町では作家の串田孫一が生まれ、佐々木邦や川尻清潭らも住んでいました。権一さんは尋常高等小学校を中退して2代目河原崎権十郎に入門し、19428月に山崎宝を名乗って「先代萩」の鶴千代で初舞台。1955年、師匠の死後3代目権十郎の門下となり、1967年に権一と改名しました。河原崎一門の弟子の苗字は師匠と違って、屋号から来た「山崎」になるようです。

 

河原崎の名跡は、木挽町にあった河原崎座に由来します。劇聖・9代目市川團十郎が初代河原崎権十郎を名乗っており、その名を襲ったのが弟子である2代目。15代目市村羽左衛門に似ていたことから「浅草の羽左衛門」と呼ばれたそうで、その子が3代目権十郎。こちらも11代目団十郎(9代目海老蔵)にそっくりで、渋谷の東横ホールでよく公演していたことから付いたあだ名が「渋谷の海老さま」。さすが親子、同じようなことを言われるものです。

 

権一さんは鼻にかかった声が特徴的で、面長に鼻の大きな役者顔。脇役ですから派手なことをするわけではありません。しかし「浜松屋」の番頭、「源氏店」の藤八、「仮名手本忠臣蔵」五段目の与市兵衛や「直侍」の蕎麦屋亭主など、見ていて温かい味わいが感じられる演技でした。筆者が思い出すのは、「幡随長兵衛」の劇中劇「公平法問諍」の飄々とした慢容上人です。惜しい名脇役を亡くしました。心からご冥福をお祈りいたします。

(参考資料:『かぶき手帖2011年版』日本俳優協会、『歌舞伎俳優名鑑』『新歌舞伎俳優名鑑』演劇出版社)

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