107からの続きです。1964年の東京オリンピックは国家的一大事業でした。外国人とのコミュニケーションのためにピクトグラムは大いに活用されました。オリンピックの歴史で、ピクトグラムの本格的採用は初めてだったのです。
ピクトグラムの導入、開発を行ったのは東京五輪のアート・ディレクターを務めた勝見勝さん。約60種類の施設シンボルを作成しました。勝見さんがこの採用を思いついたのは、日本の紋章からの連想だったそうです。今でこそ各競技種目のピクトグラムは当たり前ですが、山下芳郎さんのデザインによる競技シンボルも初めての表現でした。施設、競技の両方のシンボルは、その後の国際的な行事や事業のコミュニケーション計画のモデルケースとなりました。
その後モントリオール万国博、メキシコ五輪などもピクトグラムが導入されます。日本の次の大きな国家的事業、1970年の大阪での万国博でも開発されましたが、ここで事件が起こりました。トイレの男性用、女性用のサインが入場客に分からず、その上に「便所」と文字を貼ってしのいだのです。まだこの時点では一般化していなかったのですね。しかし、その2年後の札幌冬季五輪ではそのようなことはなかったようですから、その間に浸透したのでしょうか。
どこの国の、どんな人が見ても分かるように作るのは大変です。たとえば、赤十字はイスラム圏では忌避されるので、赤新月というマークを用いています。宗教による差異は難しいのですね。また、郵便を表すのにヨーロッパでは郵便配達のポストホルン、日本では「〒」マーク。どちらも封筒の形にすることで、誤解はなくなったことでしょう。ともあれ、国際交流を超え、福祉、防災、作業の安全確保のためなどあらゆる分野に、ピクトグラムはその活躍の場を広げています。
(参考資料:太田幸夫『ピクトグラムのおはなし』日本規格協会、太田幸夫『ピクトグラム[絵文字]デザイン』柏書房)