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日めくり編集メモ 111

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貴方はもう捨てたのかしら 二十四色のクレパス買って 貴方が描いた私の似顔絵...。往年のフォークソング「神田川」の2番です。クレヨンでなく、クレパスとしたところに作詞の喜多條忠さんのセンスを感じます。さて、今回はそのクレパスについてです。

クレパスとは、クレヨンとパステルの合成語。生まれたのは1925年と大正末期ですが、これにはこの時代の学校教育が関わっています。大正初期までの小学校の図画では、黒い普通の鉛筆が画材で、色を着けるには色鉛筆か皿絵具が使われ、「臨画」といって対象物をひたすら真似る教育でした。これに異を唱えたのが欧州から帰国した画家・版画家の山本鼎。彼は、子供にのびのび写生させる自由画教育を提唱し、時をほぼ同じくしてアメリカから輸入されたクレヨンが富裕な子弟の通う私学で流行します。

 

じき自由画といえば写生画、写生画といえばクレヨン画と言われるようになりました。この需要増を受けて19215月、クレヨンの製造をする「日本クレイヨン商会」(現在の「サクラクレパス」)が設立されます。その直後の1923年に関東大震災が発生、会社ごと大阪へ移転して再出発しました。より高品質のクレヨンを研究するうち、当時の欧州画壇で人気だったパステルが浮上し、「クレヨンのように定着性がよく、パステルのように重ね塗りできる」画材を開発することになったのです。

 

試行錯誤の末、油脂で顔料を練り合わせたクレパスが誕生しました。当初は油脂分にヤシ油、牛脂などを使っていたため夏は軟らかく、冬は硬くなってしまったとのこと。しかし改良の結果1928年には、1年を通じて使える「ほんとのクレパス」が売り出されました。偽物に悩まされたからこそのネーミングでしょうか。以来今日まで、幼児や小学生からプロ画家にいたるまで愛用されていることは言うまでもありません。ちなみに箱にある「クレパス」の文字は、前出の山本鼎の手によるものです。

(参考資料:株式会社サクラクレパス ホームページ、「起源ハ大阪ニアリ」第25回=「大阪人」20065月号所収)

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