前回お話しした原子力発電関係の漫画界への食い込みですが、これに関与したのが「漫画集団」という漫画家の親睦団体。その窓口を務めたのが「サンワリ君」(読売新聞夕刊連載)で知られる鈴木義司です。
漫画集団は1932年、近藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄らを中心に「新漫画派集団」として結成されました。当時、日本漫画会というベテラングループがあり、これに対抗するための組織だったのです。それが、1950年頃は漫画集団が主流として漫画界を席捲するのですから、歴史は繰り返すようですね。それ以外の漫画家のサロンとしては、小島功らの「独立漫画派」、島田啓三らの「東京児童漫画会(児漫長屋)」などがありました。
鈴木義司というと、18年続いた長寿番組「お笑いマンガ道場」(中京テレビ)での富永一朗との掛け合いを思い出される方も多いと思います。その一方、原発関係のPR漫画やイラストを多く描いていました。鈴木が呼びかけていたのでしょうか、漫画集団所属の漫画家がイラストを載せる電気事業連合会(電事連)の新聞広告があり、この広告の対価として、漫画集団は年間150万円の看板料をもらっていた、と自分で語っています。
その頃の漫画集団は作家グループ的な個性は消え、親睦団体になっていたようですが、そもそも中心人物である近藤日出造は風刺漫画家でありながら、1970年にパンフレット「安保がわかる」を企画制作し政府側に売り込んだ人物。前回取り上げた「鉄腕アトム よみがえるジャングルの歌声」もこの近藤がかかわった会社が作っています。批判精神を失い、体制に擦り寄る漫画家の存在価値は、いったい何でしょうか。(文中敬称略)
(参考資料:手塚治虫『ぼくはマンガ家(新装版)』大和書房、「COMIC BOX」1988年8月号、1990年1月号)