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日めくり編集メモ 125

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平和教育の原典といわれる『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』(岩波書店)を編んだ広島大学名誉教授の長田新(おさだ・あらた)が亡くなって50年。418日は命日です。

長田は1887年、長野県に生まれました。広島高等師範学校を卒業後、いったんは大分県師範学校の教諭になりますが、教育学をあらためて学ぶために京都帝国大学文学部に入学します。ここで彼が出合うのが、ペスタロッチ。18世紀末期から19世紀初頭にかけての封建社会から近代市民社会への転換期に、貧者の救済と教育に力を注いだスイスの教育家です。長田はペスタロッチに心酔し、研究の第一人者となりました。広島大には民衆教育に貢献した人や団体を顕彰する「ペスタロッチー教育賞」が設けられています。

 

194586日、広島文理科大教授だった長田は被爆し、九死に一生を得て助かりますが、教育者としての戦争責任に自問自答したといいます。そしてあの1発の爆弾で子供たちが何を体験し、感じ、考えたかを知るために被爆の手記を集めたのです。これを広く公開すべきだと考えた長田は岩波書店の吉野源三郎と相談し、手記のうち105編を掲載して195110月、『原爆の子』は出版されました。被爆を単に悲劇としてとらえ、観念的に平和を祈るのではなく、平和をたくましく創造する原動力にしたいとの思いがあったのです。

 

この出版は大反響を呼び、演劇化や翻訳も数多くされ、映画化は『原爆の子』は新藤兼人監督によってなされましたが、その内容をめぐって長田と新藤は対立し、この映画とは別に『原爆の子』を脚色した関川秀雄監督の『ひろしま』という作品も作られました。両作品とも海外の映画賞を受賞しています。今月22日からは米ニューヨークで新藤監督の回顧展が開かれ、『原爆の子』が上映されるとのこと。対立した2人でしたが平和への思いは同じはず、泉下の長田も原爆投下国の反応を興味深く見守っているのではないでしょうか。

(参考資料:「空白への挑戦 原爆の子」朝日新聞199162782日)

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