昨16日、北陸地方が梅雨入りし、広い地域で長雨の季節に入りました。外を見るとアジサイが咲いています。ふと口をついて出た歌は「泡碧くかたまれる如(ごと)兄弟らあひ寄れる如あぢさゐ蕾(つぼ)む」。宮柊二の作です。
柊二は1912年
戦後の1946年に第1歌集『群鶏』刊行。1948年、第2歌集『小紺珠』では時代についていけない戦中派の虚無感が暗く、しかし美しく抽象化されて表現されました。1953年にコスモス短歌会を主宰し、会誌「コスモス」を創刊。1960年にサラリーマンから足を洗いますが、この頃から糖尿病や関節リウマチなど病に悩まされます。生涯戦争の傷跡を負った孤独派といえるでしょう。一方、宮中歌会始の選者や日本芸術院会員なども務めました。
柊二は白秋から「君は暗い」「君の歌は瘤の樹をさするようだ」と常々言われていたとか。確かに白秋のような華やかさはありませんが、その歌は衒いのない真っ直ぐさが魅力です。柊二にはこんな歌もあります。「潮けぶりせるかの岸にあたらしき灯を連ねゐし原子力研究所」(『獨石馬』)。貧しく、苦労をした世代である柊二には、原発が「あたらしき灯を連ねゐし」と見えたのでしょうか。柊二は1986年、74歳で亡くなりました。
(参考資料:新潟県魚沼市宮柊二記念館ホームページ、宮英子・高野公彦編『宮柊二歌集』岩波文庫、粟津則雄『日本人のことば』集英社新書)
※ 昨年6月15日にはじまった「日めくり編集メモ」ですが、お蔭様で1周年を迎えることが出来ました。これからもご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。