作家の小松左京さんが26日、満80歳で亡くなりました。何度も映像化された400万部以上のベストセラー『日本沈没』だけではなく多種多様の作品群があり、作家だけにとどまらぬ行動範囲の広い人でした。
小松さんは1931年大阪生まれ。子供の頃から「うかれ(お調子者)」だったそうです。神戸一中在籍時に終戦を迎え、同級生の高島忠夫さんらと軽音楽バンドを組みました。その後三高を経て京大文学部へ。ここで同級生の高橋和巳を知ることになります。当時の小松さんは共産党に入って処分されたり、さらに漫画を描いたり。高橋らとの同人誌も1号限りで、卒業後も苦しい生活の中、放送作家として「いとし・こいしの新聞展望」の台本書きに追われます。
1961年、「SFマガジン」主催第1回SFコンテストに『地には平和を』で選外努力賞を受賞。ここからSF作家としての小松さんの大車輪が動き始めます。日本のSF草創期からの牽引車といえば「小松、星(新一)、筒井(康隆)」の三羽烏。『日本アパッチ族』、『果しなき流れの果に』、さらに『日本沈没』など作家として大作をものし、そればかりか1970年大阪万博のプロデューサーを務めます。その八面六臂の活躍ぶりは、当時のモーレツ社員の比ではないでしょう。
『小松左京自伝―実存を求めて』を読むと、副題のとおり、戦争の緊張と戦後の虚脱のなかで生まれた自身の「実存」を問うために作品を著してきたのだと実感します。この脆い地球上に生きる人間とは何か―。原爆・水爆を生み出した近代科学の発達が人類に何をもたらしたのか、その意味を問うにはSFが最適と小松さんは考えました。大震災と収束できない原発事故のさなかの小松さんの逝去が、いまを生きる私たちに問いかけるものは大きいようです。
(参考資料:小松左京『小松左京自伝―実存を求めて』日本経済新聞出版社、長老の智慧・小松左京その3「僕のSFの出発点は戦争反対と核兵器廃絶」東洋経済オンライン)