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日めくり編集メモ 168

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7月31日、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)など主催の原水爆禁止世界大会が初めて福島市で開かれました。核兵器に対して声を上げ続けてきた原水爆禁止運動ですが、原発についての言及は、なぜかこれまであまりありませんでした。

1954年、第五福竜丸の被災以来、東京・杉並区の主婦を中心とした原水爆禁止運動は全国的な広がりを見せ、署名は3000万筆を超えました。その翌年第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成されます。当初は保守革新を問わぬ国民的運動でしたが、冷戦が深刻化して核実験が東西ともに行われるようになると、社会党系は「一切の核実験に反対」、共産党系は「帝国主義国と社会主義国の核実験は違う」と見解が分かれてしまいました。

それまでも大会での紛糾はありましたが、1963年、第9回にして分裂してしまい、その2年後、社会党系は原水禁を結成。当時の情勢があったにしても、社共両党のヘゲモニー争いになってしまったことは実に残念です。これに対して被爆者団体である日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は統一をほぼ守りました(傘下の広島県被団協は上記と同様の理由で分裂)。広く国民を結集させるはずの上部団体の混乱は、被爆者にとっては悲しく遣る瀬ないことだったでしょう。

分裂によって原水爆禁止運動は力を失い、原発は「平和利用」の名の下に黙認されてきました。旧民社党系の核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)は電力系の労組が力を有し原発推進方針、原水協の今年の大会でも原発事故についての言及はあまり見られません。また、原水禁の関係者も今までの反原発運動への取り組みの弱さを反省したとのこと。軍事利用と表裏一体である原発。遅すぎるとは思いますが、この問題についての取り組みがやっと始まったようです。

(参考資料:『昭和 二万日の全記録』第10巻-第12巻 講談社、東京新聞2011年8月1日付)

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