昨日6日は広島原爆の日でした。その前日、マツダスタジアムでの広島×巨人戦の始球式に漫画家の中沢啓治さんが登場しました。中沢さんは言わずと知れた『はだしのゲン』の作者。現在汐文社版と中公文庫版が出版され、版を重ねています。
『はだしのゲン』は中沢さん6歳のときの被爆体験をもとに描いた作品です。これを描くきっかけは、中沢さんの母の死。火葬した際に、放射線に侵されていた骨はほとんど残りませんでした。戦後20年以上が経っていたにもかかわらず…。この出来事が、それまでこの問題を避けるように普通の少年漫画を描いていた中沢さんを原爆漫画執筆に向かわせたのです。1973年に週刊少年ジャンプで連載が始まりましたが、発表媒体はその後転々とし、1985年に連載を終了しました。
中沢さんはたいへんな硬骨漢。毎年行われる平和記念式典も、被爆直後のことが思い出されて「そんなセレモニーで平和が来るか」と、白々しく思えて仕方がなかったそうです。しかし、肺がんが見つかったことと、福島の原発事故によって考えが変わりました。福島の人が差別されたという報道に触れ、自身の記憶が甦ったそうです。「これで見納めかも知れん。市や国が何を語るのか見てやりたい」との思いで、昨日の平和式典に初めて招待されて出席しました。
執筆の意欲が衰えない中沢さんでしたが、持病の悪化によって視力が低下してしまい、漫画家の引退を一昨年発表しました。だからといって中沢さんの平和への思いは尽きることはありません。『はだしのゲン』も作者の手を離れて、核と平和について考えるすべての人のものになっています。東京のオーディトリウム渋谷では、中沢さんを被写体にしたドキュメンタリー映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』がこの26日まで上映されており、このあと順次各地を巡回します。
(参考資料:中沢啓治『はだしのゲン』中公文庫コミック版、中沢啓治『はだしのゲンはピカドンを忘れない』岩波ブックレット、「『はだしのゲン』作者に思い聞く きょう原爆忌」神戸新聞2011年8月6日付)