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日めくり編集メモ 172

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沖縄県読谷村役場の前に憲法第9条を記した碑があります。役場の職員が建てたものだとのこと。碑の上には炎なびく形がデザインされ、はめ込まれた金属板に「日本國憲法第九條」と条文が書かれています。

読谷村は沖縄本島中部の西海岸、リゾートで有名な恩納村の南に位置し、紅芋が特産品の静かな村です。村としては日本で2番目に人口が多、人口40000余り。世界遺産のひとつ座喜味城跡や残波岬などの観光資源もあり2月にはプロ野球中日ドラゴンズの2軍キャンプも張られます。一方、沖縄戦では米軍の本島上陸作戦が真っ先に行われ、集団死のあったチビチリガマもこの村にあります。ちなみに1609年の薩摩軍の琉球侵攻の上陸も同じ渡具知海岸からでした。

 

戦後、異民族支配によって人権が抑圧された沖縄の人々にとって、「主権在民」「基本的人権の尊重」そして何より「戦争放棄」を謳った日本国憲法がまぶしく映ったことは想像するに余りあります。サンフランシスコ講和条約当時、読谷村では実に土地の約80%が基地で占められていました。復帰後も約73%と返還は進みません。山内徳信さん(現参議院議員)は1974年に村長に初当選。以来「憲法を生かした村づくり」を掲げ、624年間で、約40%にまで比率を下げたのです

 

このために独自に米軍と交渉を重ね、基地の敷地内に国体の会場を設置したり、村役場を建設するなど、日米地位協定第24項(a)の規定を最大限活用し、次第に認めさせてきたのです。赤瓦が葺かれた瀟洒な読谷村役場は、一見するとまるでリゾートホテルのようですが、その外壁には「政府は日米地位協定を根本的に見直せ!」と書かれた大きな横断幕が掲げられています。アメリカに唯々諾々として従うばかりの国に対して、ここには「外交戦略」が確かにありました。

(参考資料:読谷村ホームページ読谷バーチャル平和資料館「この人に聞きたい・山内徳信さん」マガジン9小橋川清弘「軍用地の跡地利用と平和村づくり」第31回地方自治研究全国集会報告書集

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