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日めくり編集メモ 173

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都心と成田空港を結ぶ京成電鉄。昨年7月からは成田スカイアクセスが開通し、日暮里-空港第2ビル間が最短36分で結ばれました。しかしもとは成田山新勝寺への参詣のために造られた鉄道です。さらに過去には変わった副業も営んでいました。

京成電鉄は1909年創立。早速工事に取り掛かり、3年後に押上-伊予田(現江戸川)間と曲金(現京成高砂)-柴又間の計11.5キロメートルが開業しました。その名の通り、古くから信仰を集める成田山への参詣客のために計画された鉄道でしたが、成田花咲町(仮駅)までつながったのは1925年のこと。上野まで開通したのは1933年でした。一方、バス事業や土地分譲、遊園地(谷津遊園)の開場など多角経営を推し進めます。

1936年には何と食品工業に事業を拡張。千葉県幕張に6千坪の工場を設置し、ハムやソーセージ、ベーコン、さらには精肉販売を行いました。近衛師団や第1師団の指定も受け、順調に発展。千住大橋駅ガード下には精肉市場を設け、好評を得たということです。また、この事業の中で臓器利用による薬品研究を重ねていた同社は、「京成シミトール」という名の家庭常備薬を売り出し、「京成胃腸薬」とともに製薬事業も軌道に乗りました。

しかし戦時統制のため、この食品工業と製薬業は廃止を余儀なくされました。さらにそれまでの事業のもう一つの柱である配電事業も関東配電(現東京電力)に統合されたり、千葉県内の自動車事業の統合主体に指定され、買収や統合されたり、さらには谷津遊園の「遊」の字は怪しからんと「谷津園」と改称したりと京成にとって激動の時期でした。しかし、いまもし「京成ハム」や「京成胃腸薬」があったら、と想像するのは楽しいものです。

(参考資料:『京成電鉄五十五年史』京成電鉄、『京成電鉄85年の歩み』京成電鉄)

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