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日めくり編集メモ 177

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東京電力福島第一原子力発電所事故によって「フクシマ」とカタカナで書かれるようになっている福島。しかしこの表記にはどうにも違和感をぬぐえません。このカタカナの意味は何なのでしょうか。

福島在住の人でなくとも、このような表記を不愉快に感じるという人は多いようです。カタカナ表記は、外来語や擬音語、擬態語、さらに学術用語や目立たせたい部分に使われるもの。つまりカタカナで表すことにはそれ相応の意味があるはずです。今までこのように表されるものとしては、被爆地としての「ヒロシマ」「ナガサキ」、そして「ヒバクシャ」。さらに「オキナワ」や「ミナマタ」などが挙げられます。これらに共通するものは、海外メディアによって伝えられて世界的に知られるようになったことです。

福島の地名も今回の震災と原発事故によって海外メディアに大きく取り上げられました。そこからことばが逆輸入され、「福島」ではなく「Fukushima」であるがゆえにカタカナ表記となったということでしょうか。東京新聞7月10日付社説「オキナワとフクシマ」には、「フクシマとカタカナで書くのはつらいのですが、世界的原発事故が起きてしまったということで許されたい。オキナワのカタカナ書きは米軍の大きな基地が集積している世界性からです」とあり、この表記について論説担当者の議論が相当あったと思われます。

カタカナ表記は、福島を外来語的にとらえているわけで、当事者とともにあるという姿勢が感じられないからこそ、「上から目線」と反発を招くのでしょう。それにしても、ことばで伝えることの難しさを感じずにはいられません。カタカナで書いたすべてが否定されるべきではないし、その逆も然り。「がんばろう福島」と漢字で書いてあっても、そのことばを被災地以外の者が使うときの居心地の悪さもいかんともし難いものです。表記やことばへの違和感も忘れずに、これからも福島の人々に寄り添っていかなくてはなりません。

(参考資料:菊池誠「フクシマと書かない」kikulog吉田祐起「“なぜヒロシマ、ナガサキ、ヒバクシャ、フクシマと表現するのか?”への回答」a-bombsurvivor.com=PDFファイル)

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