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日めくり編集メモ 184

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88年前の9月16日、関東大震災直後の騒然としたさなか、アナキストとして知られた大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥である橘宗一の3人が、憲兵大尉甘粕正彦によって殺害される事件が起こりました。世に「甘粕事件」と言われます。

人の口に戸は立てられないものです。報道されなくても、大杉が暗殺されたと言う噂は広がっていました。4日のちの20日には、「時事新報」と「読売新聞」が、号外で大杉殺害事件を報道して発売禁止の処分を受けました。さらに、わずか6歳の橘宗一が米国市民権を持っていたことで、米国大使館が抗議するという“外圧”も加わり、事件を隠しおおせなくなった政府は同日、理由を明らかにしないまま、戒厳司令官を更迭し、甘粕を軍法会議に付すと発表しました。

24日の軍法会議予審で大杉らの殺害が初めて公にされましたが、ほか2人の名前や殺害場所に関しては口をつぐんだまま。後に公表される甘粕の聴取書によって、大杉のほか堺利彦なども殺害しようとしていたことが判明しました。しかし最後まで分からなかったことは、甘粕の背後関係です。甘粕は自分の行為を個人的なものであると主張しましたが、大杉らの身柄拘束に憲兵を使い、殺害した場所は憲兵隊本部。甘粕よりさらに上の関与を考えるのが普通でしょう。

結局、単独犯行とされた甘粕に禁錮10年の刑が言い渡されましたが、3年ほどで出獄。その後満州(現中国東北部)に渡り、関東軍の特務工作に従事、満州国建国に関与しました。最後は満州映画協会理事長を務めた甘粕ですが、日本敗戦の直後に服毒自殺しました。この事件を概観すると、報道への弾圧、外圧による腰砕け、小出しにする情報公開、ひとりに罪を被せて生き残る組織、うやむやになる真実…。わが国の現状を見ると何も変わっていない気がします。
(参考資料:今井清一「関東大震災」日本ペンクラブ電子文藝館 招待席・主権在民史料

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