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日めくり編集メモ 195

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人間国宝の歌舞伎役者、中村芝翫さんが10日、83歳で亡くなりました。古風な風貌の、芸格のある女形でした。2000年9月に一世一代として踊り納めた6代目尾上菊五郎直伝の「京鹿子娘道成寺」が、筆者には忘れられません。

芝翫さんは1928年、5代目中村福助の長男として生まれました。しかし僅か5歳で父が他界したため、祖父5代目歌右衛門の許へ。その祖父とも12歳で死別してしまいます。このときの心境は「広い原っぱに一人取り残されたような気がし」たとのこと。掌を返したような役者もいる中、6代目菊五郎が手を差し伸べ、当時の児太郎さんはその薫陶を受けました。芝翫さんは6代目のことを、実父、祖父に次ぐ「第3の父」として住所にちなんで「芝のおやじ」と呼んだのです。

1941年に7代目福助を襲名。1949年、6代目没後は「菊五郎劇団」に在籍し、7代目尾上梅幸に次ぐ女形として活躍しました。1964年には叔父・6代目歌右衛門の一座へ。この両方を経験したことで芸域は広がり、すぐれた技倆を身につけました。梅幸、歌右衛門没後は4代目雀右衛門さんとともに女形の最高峰に。しかし若い頃から病弱で、1967年に7代目芝翫を襲名する前には肺浸潤で入院したことも。6年前には肝臓がんが見つかり、病と闘いながらの晩年でした。

子供は長男の福助さん、次男の橋之助さん、長女の光江(日本舞踊家の2代目中村梅彌)さん、次女の好江さん。その夫、つまり義理の息子が勘三郎さん。男の孫は勘太郎さん、七之助さん、児太郎くん、国生くん、宗生くん、宜生くんと実に賑やか。かつて自身の孤独を嘆いたことを考えれば、芝翫さんの喜びはいかばかりだったでしょう。残念なことは、建て替え中の新しい歌舞伎座の舞台を踏めなかったことと、勘太郎さんの6代目勘九郎襲名を見られなかったことでしょうか。

(参考資料:中村芝翫:小玉祥子聞き書き『芝翫芸模様』集英社)

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