きょう11月11日は、「公害原論」で知られる宇井純さん(沖縄大学名誉教授)の命日です。現在、いわゆる「御用学者」が話題になっていますが、宇井さんは全く対極の生き方を貫いた科学者でした。
宇井さんは1932年東京生まれ。幼い頃から神童と呼ばれ、1956年東京大学工学部応用化学科卒業。化学会社に勤めた後大学に戻りましたが、そのころ水銀由来の水俣病の話を聞き、その調査研究に携わりました。「富田八郎(とんだやろう)」のペンネームで『水俣病』という自費出版までしたのです。しかし、新潟水俣病の告発を実名で行ったためか、東大での宇井さんの身分は助手のまま据え置かれてしまいます。
しかし、この行動がきっかけとなって水俣病は、世の注目をやっと浴びるようになりました。また世界保健機関(WHO)の研究員として欧州の公害を調査するなど広い知見を持っていた宇井さんは、東大内に自主講座「公害原論」を開講し、以後15年にわたって公害問題を訴え続けました。この講義録は1973年毎日出版文化賞を受賞しています。行政の誤りを衝いた中西準子さんとともに、まさに東大理科系の良心でした。
その後宇井さんは21年間助手を務めた東大を辞し、沖縄大学に教授として招かれます。ここでグローバルな視点とともに、畜産排水の肥料化、回分式活性汚泥法の実用といった当地に即した水質浄化、さらにサンゴ礁を守る新石垣空港建設反対などの沖縄の環境問題に取り組みました。宇井さんの人生はまさに闘争の歴史だったと言えるでしょう。沖大を2003年退官した宇井さんは、その3年後、74歳でこの世を去りました。