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日めくり編集メモ 214

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芸能ニュースでも大きく取り上げられていますが、落語家の立川談志さんが75歳で亡くなりました。「立川雲黒斎家元勝手居士」というユニークな戒名にも話題が集まっています。
談志さんは1936年東京・小石川生まれ。1952年、東京高校を中退し、16歳で5代目柳家小さんに入門、小よしを名乗ります。二つ目で小ゑんとなり、1963年、真打に昇進して5代目立川談志を襲名。1965年、29歳のときに三一新書から『現代落語論』を上梓します。この書はその後数多く出版する著書の最初でしたが、次いで出版された『あなたも落語家になれる』にある「落語とは人間の業の肯定である」という一節はあまりにも有名です。
 
途中、参議院議員など政治家として活動した時期もありますが、1982年、自身の弟子が真打試験に落ちたのを機に落語協会を脱会、立川流を創設して家元となります。お金を払えば弟子になれるコースや、有名芸能人に名を与えるコースもあり、ここにはビートたけしさん、高田文夫さん、毒蝮三太夫さんなどがいます。しかし従来の師弟関係の弟子には厳しく、二つ目昇進には落語50席と歌舞音曲、真打には同じく100席が必修でした。
 
協会からの独立は、即ち寄席へ出演できなくなることです。まさに死活問題であったはず。しかしそれを貫き通したのは、談志さんの意地だったのでしょう。「落語界の東大」を目指して厳しく接した弟子も、志の輔さん、談春さん、志らくさんなど多士済々。弟子に対しては、談志さんの後顧の憂いはなかったかも知れませんが、今後の立川流がどう運営されていくのかちょっと心配なのは、過保護な落語ファンのお節介でしょうか。

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