きのう12月8日は対米英開戦70年でした。時が流れ、体験者が少なくなっていくのは必然です。戦争を記録し、記憶し続けることの難しさと同時に、だからこそ、その必要性を思わずにはいられません。
1941年12月8日、海軍空母機動部隊による米ハワイ真珠湾奇襲攻撃と、陸軍による英国植民地・マレー半島コタバルへの上陸作戦で、日本は対米英戦争を始めました。翌9日の朝日新聞社会面は「米英膺懲世紀の決戦!」と大見出しを立て、皇居や明治神宮、靖国神社に多くの人が押し寄せ、大政翼賛会協力会議では東条首相の演説放送に参会者が感涙するなど、国民は興奮状態にあったようです。
しかし、緒戦の勝利もものかは、1942年6月のミッドウェー海戦に完敗してからは敗勢濃厚となります。にもかかわらず負け戦の情報は国民に知らされませんでした。1942年4月に米B25によって本土初空襲。空襲があっても逃げずに消火に当たる「民防空」の考え方が推奨されましたが、雨あられと投下される焼夷弾の前には無力でした。徴兵年齢や範囲は拡大され、国民は耐乏生活を余儀なくされます。
NHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」は第1回と第2回が先日放送されましたが、戦争を知らない者として、当時を生きた方々の証言を重く受け止めました。私たちは、戦争を体験しないと戦争の愚かしさが分からないわけではありません、と言いたいところですが、原発事故が起きてから、やっと原発の恐ろしさを理解できたのも事実です。後世の子孫に「想像力の欠如」と言われないようにしなくては…。
(参考資料:『朝日新聞に見る日本の歩み―破滅への軍国主義II』朝日新聞社、『昭和 6』講談社、NHKスペシャルホームページ)