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日めくり編集メモ 223

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日本近代洋画の父と呼ばれる浅井忠(ちゅう)。千葉市中央区にある千葉県立美術館には、浅井の作品・業績が多く収蔵されています。104年前の1907年12月16日、浅井は京都で急逝しました。

浅井は1856年、江戸に佐倉藩士の長男として生まれました。佐倉で過ごした少年時代に藩お抱えの南画家・黒沼槐山に絵を学び、槐庭の号を授かっています。17歳で上京し、その翌年国澤新九郎に師事、油絵の手ほどきを受けました。1876年、日本初の官立美術教育施設である工部美術学校に入学し、イタリア人画家アントニオ・フォンタネージの薫陶を受け、絵画の腕を磨きましたが、フォンタネージの帰国をきっかけに退学してしまいます。

1889年に浅井が中心となり、日本初の洋画団体「明治美術会」を設立。これは、工部美術学校が廃校になった後、新たに東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)が発足し、西洋美術を排斥しようとする傾向に反発してのことでしたが、1898年にはこの教授に就任。1900年からはフランスに2年間留学し、全盛だったアール・ヌーヴォーの運動に触れました。帰朝後は京都に移住、京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)教授に就任しました。

浅井の油絵は、『春畝』『収穫』『漁婦』などのように農村や労働に材を採ったものが多く、一見地味ですが、豊かな詩情にあふれています。また、以前からの日本画や学校退学後のペン画、日清戦争の従軍画家としての水彩スケッチ、滞欧中の水彩画、さらには京都に移ってからの陶芸・漆芸など幅広い技法を身につけていました。門下からは安井曾太郎、梅原龍三郎ら日本を代表する洋画家を輩出するなど、後進の育成にも努めた人物でした。

(参考資料:千葉県立美術館ホームページ

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