民族学者として知られる梅棹忠夫の軌跡をたどる「ウメサオタダオ展―未来を探検する知の道具―」が、今年3月〜6月開催の国立民族学博物館に続き、明日12月21日から来年2月20日まで東京・江東区の日本科学未来館で開かれます。
梅棹忠夫は1920年、京都市に生まれました。三高時代から探検部に所属し、京都帝国大学理学部へ。大学では主に動物学を専攻しましたが、今西錦司を団長とする大興安嶺探検隊に参加するなど、フィールドワークの幅広さは図抜けていました。その後民族学に転じ、1957年の『文明の生態史観』では、西欧文明と日本文明は、ほぼ同じ歩みで進化したとする「平行進化説」を唱えます。
1970年、大阪で開催された万国博の基本理念の起草者も梅棹だと言われます。その会場跡にできた国立民族学博物館の創設に尽力し、初代館長を20年の長きにわたって務めました。その間、1986年に原因不明の失明に襲われますが、梅棹はそれ以降も口述筆記で活発に執筆活動を続けました。1994年に文化勲章、1999年勲一等瑞宝章を受章するなどし、2010年、90歳でこの世を去りました。
この「ウメサオタダオ」というカタカナ書きは、分野を超え、平易な言葉で、斬新な知見を示してきた梅棹の先覚性や革新性を表しているとのこと。「こざね」というカードに短い文章を書いていき、関連のあるものをまとめてホチキスで止める「こざね法」は『知的生産の技術』で発表され、知識整理法として大評判になりました。この書は1969年の著作ですが、未だに版を重ね現在88刷を数えます。