昨年の東日本大震災、そして東電福島第一原発事故をきっかけに、デモへの参加や署名活動など声を上げる人が多くなってきました。いや、むしろ今までが少なすぎたのです。
現在、東京都と大阪市で「原発都民(市民)投票」の実現を求める署名活動が行われ、受任者の皆さんが走り回っています。また、脱/反原発デモ・集会も毎週のように行われ、雨宮処凛さんによると、3・11以降1500以上も開催されているそうです。事故をきっかけに「何かがおかしい」と感じる人が増えたのでしょう。これはある意味健全なことです。異議申し立てが出来ない社会は民主主義社会とは言えないでしょう。
雨宮さんは次のように書きました。『1万5000人が集まった4月10日の「原発やめろデモ!!!!!」第一回目のスローガンは、「危ねぇ!」「恐ろしい!」だけだった。その思いだけでデモをしていいんだ。ある意味、この言葉はデモのハードルを限りなく下げ、しかし、そこから参加者たちはメキメキと、本当にその音が聞こえるくらいに成長を重ねている、と感じる』(「雨宮処凛がゆく! 」第214回 怒濤の2011年。の巻)
そうです、いいのです。声をどんどん上げるべきなのです。 理屈よりも何よりも、その気持ちの強さが議会や行政を動かすかもしれません。彼ら・公に「お任せ」にするのではなく、継続的な監視が今こそ求められます。さらに公がダメなら自分たちで提言を行う動きも各地で相次いでいます。間接的投票行動と直接的示威行動はともにあるべきでしょう。声を上げないことが“大人の態度”などでは決してありません。