国民生活センターや自治体の消費生活センターが行う、今でこそ当然になった商品テストですが、これを雑誌として最初に始めたのが『暮しの手帖』。創刊した花森安治が亡くなったのは、1978年1月14日でした。
花森は1911年神戸市生まれ。旧制松江高校時代に校友会雑誌の編集に参加、これが彼の編集者としての出発点でした。東京帝国大学文学部美学美術史学科在学中も学生新聞の編集に。卒業後、化粧品会社の宣伝部を経て応召しますが結核で除隊となり、大政翼賛会の宣伝部に入って文化動員の仕事に就き、「あの旗を撃て」「贅沢は敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「欲しがりません勝つまでは」といった国策スローガン、ポスター製作にかかわりました。
戦後の1948年、画家・編集者の大橋鎭子とともに雑誌『スタイルブック』を創刊。その2年後に『美しい暮しの手帖』(後に『暮しの手帖』に改題)を創刊し、以後没するまで同誌編集長を務めました。取材、撮影、執筆はもちろんのこと、挿絵やレタリング、編集、レイアウトなど雑誌づくりの全てを行う仕事ぶりは有名。『暮しの手帖』では中立性を確保するため企業広告を載せず、繰り返し徹底的に行う「商品テスト」の記事をはじめ、常に生活者の側に立つことを追求したのです。
1969年出版の『戦争中の暮しの記録』はマグサイサイ賞を受賞しました。このあとがきで花森はこう書きます。「これが戦争なのだ。それを知ってもらいたくて、この一冊をのこしてゆく。君もまた後に生まれる者のために、この一冊をどんなにぼろぼろになっても残しておいてほしい」。彼の書き継いだ詩『一戔五厘の旗』もそうですが、この「戦争との対決」は、自身の戦争協力への懺悔だけではない、まさに人間の暮らしの根源を問い続ける闘いだったのかもしれません。
(参考資料:酒井寛『花森安治の仕事』朝日文庫、暮しの手帖社ホームページ)
※ 2月24日から4月9日まで、島根県立美術館で展覧会「くらしとデザイン 『暮しの手帖』花森安治の世界」が開催されます。